懐かしい昭和あるある青春ノスタルジー

昭和の時代を懐かしみ振り返ります。

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昭和50年代の校内暴力はいったい何を意味していたのか?

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ねんど130さんによる写真ACからの写真

筆者が中学、高校を過ごした1980年代は校内暴力が社会現象になっていました。

ネットで調べると1970年代後半から1980年代前半が最もひどい状況だったようです。

つまり昭和でいうと昭和50年代にあたります。

 

昭和50年代の校内暴力の実態

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はむぱんさんによる写真ACからの写真

今だと、明るみに出たらトップニュースになりそうな事件が、全国で毎日のように起きていました。

教員のための教育情報サイト「EDUPEDIA」より、当時の荒れた学校の実態例が列挙されていましたので、いくつか引用します。

● 教師が殴られた、蹴りを入れられ骨折した、土下座させられたなどは枚挙にいとまがない。暴言やいやがらせ、暴行は日常茶飯事であった。 ● 生徒間のいじめも悲惨を極めた。排泄物を食わされるようなこともあった。・・・「いじめ自殺」でネット検索すると詳細がわかる。
● 職員室の机の上を中学生が走り回っていた。
● 校長室のソファーで生徒がタバコを吸っていた。校長は側にいて黙認。
● 夜間に学校に侵入し、全ての窓ガラスを壊して回した。(尾崎豊「卒業」にもその様子が描写されています)
● 生徒が教師に刺された。・・・「忠生中学生徒刺傷事件」でネット検索すると詳細がわかる。
● 教師が生徒に刺殺された。・・・「栃木女性教師刺殺事件」でネット検索すると詳細がわかる。
● 生徒が生徒を惨殺した。・・・「女子高生コンクリート詰め殺人事件」でネット検索すると詳細がわかる。
● 不純異性交遊の横行。・・・修学旅行の宿舎で女子が男子を部屋に呼んで売春行為をした(男子のお土産代を巻き上げた)。平常から男女が乱交状態に至る学校は少なくなかった。
引用/EDUPEDIA

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FineGraphicsさんによる写真ACからの写真

筆者が見聞きしただけでも、例えば次のような事例があります。

●男子高校生が全裸で平均台に括り付けられ、女子生徒も含む数十人で囲み大笑いしている。その脇を体育教師が見て見ぬふりして通り過ぎた。

●授業中に国語教師が生徒に殴られ怪我をして入院した。
●生徒が教師の自家用車のボディをベコベコ凹ませた。

●教師が黒板のほうを向くと(生徒に背を向けると)一斉に文房具などが投げつけられて全く授業にならない。

●特別教室にまき散らされたトイレットペーパーに火がつけられボヤ騒ぎとなった。

●ケンカの強い男子生徒が、たまたま廊下をですれ違う複数の生徒を次々と殴る蹴るの暴行。特に理由は無く、ひとしきり暴れると満足した様子。

●校内で集団リンチが行われ流血の事態。

●不良連中が弱い者から「カツアゲ」するのは、日常茶飯事。恐喝して金を巻き上げる行為は、当たり前に存在しているので特段問題化することは無かった。

 

昭和50年代の校内暴力はなぜ起きたのか

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ゆきだまさんによる写真ACからの写真

なぜ学校は荒れ果てていたのでしょう。

昭和40年代の学生運動は、過激派の暴動などにエスカレートし、あさま山荘事件など悲惨な末路をたどりやがて収束していきました。

社会に対する無力感を強めていった若者たちは、暴走族やツッパリといった思想を持たない反発に向かっていったのでしょうか。

テレビドラマにも常に不良が登場し、ともすればそれが格好良く描かれていました。

横浜銀蝿に代表されるツッパリアイドルも現れ、単に反抗することが男らしさであるような錯覚を覚えたのかもしれません。

昭和50年代のお笑いブームの中には、人をだまして笑ったり、弱いものいじめをして笑ったりと、不健全なものが多く含まれていました。

(今でもダウンタウンが司会の番組などに引き継がれていますが)

さらに、高度経済成長の後期にあって、物質的な豊かさを求める風潮が疲弊しはじめていた頃と重なります。

そういった社会状況の中で、中学生や高校生たちは、善悪の判断が大きく揺らいでいたのかもしれません。

学生運動の衰退、俗悪なテレビ番組、物質文化の疲弊など、様々な要因が重なり合って起きた不幸な現象だったのでしょう。

昭和54年をピークに、その前後の中高生の自殺者は、現在の数倍も多かったという統計データも残されています。

 

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